はじめに
私はゲームが大好きです。ゲームは私の人生において切っては切れない存在ですし、「趣味はなんですか?」と聞かれればすぐに思い浮かぶのはもちろんゲーム。
しかし正直なところ、「趣味はなんですか?」と聞かれたとき、声を大にして「ゲームです!」とは言えない場面もあるような気がしています。
分かりやすい例でいえば、履歴書の趣味欄。
もちろん受けるところがゲーム会社ならゲームとはっきり書けると思いますが、固い職種の場合はちょっと書きづらいと感じる場合もあるのではないでしょうか。
かくいう私もシンプルに「ゲーム」とは書きづらく、第2第3の趣味である「小説執筆」「読書」だとか、「映画鑑賞」だとか、そうした”当たり障りのない”趣味を書いてしまったことがあります。
もちろん私はゲームという趣味が他の趣味に劣るなどとは一切思っていませんし、ゲーマーであることにある種の誇りだってもっています。
しかしながら、現実として、改善されているとはいえ、いまだにゲームという趣味が偏見とともにみられることがあると理解しています。
そんなわけで今回の記事では、「ゲームが本当の意味で市民権を得るには?」ということを題材に書いてみようと思います。
なぜゲームが趣味と言いづらいのか?
そもそもゲームが趣味と言いづらい理由はなんでしょうか?”ゲームで遊ぶ=子どもっぽい”と思われるリスクがあるから?
”ゲーム依存症”のようなワードが広がっていて、ゲームにマイナスイメージをもたれていることがあるから?
”ゲームばかりしているのでは”と思われそうだから?
実際、こうしたことはゲームが趣味だと言いづらい理由の一端だと思います。
しかし私はこれらが本質的な理由になっているわけではないと考えています。
だってこれらは何もゲームだけに限った話ではありませんから。
ではどうしてゲームではこれらが問題になってしまうのか。
それはごくごくシンプルな話で、「まだコンピューターゲームへの理解が完全には深まっていない」っということが挙げられると思います。
よくよく考えてみれば、ゲームというのは意外なほどに歴史が浅い、という事実がありますよね。
現在のゲームのメインストリームの一つである”家庭用ゲーム”の歴史を辿ってみればそれは火を見るより明らかです。なぜならゲーム機が人気を博すようになってから、まだ30年ちょっとしか経っていないんですからね。これは映画や小説と比べて圧倒的に短いといって差し支えありません。
ただ一方でコンピューターゲームはそんな30年間という短い期間で爆発的な進化を遂げてきました。
その中でゲームの表現力や演出力、さらには媒体としてのポテンシャルが飛躍的に向上し、他のどのエンターテインメントにもひけをとらない多様性と柔軟性をもつにいたりました。
しかしながらやはり歴史の長さというのは強力で、ゲームよりも映画や小説の方が媒体としての格が上だとみる向きは残っているのだと思います。あまりに爆発的に進化してしまったことで、リアルタイムでゲームを楽しんでいた世代でないとなかなか理解が追い付かないという事情がある気がするんです。
そうであるからこそ、ゲームと共に育った世代が増えていく今後、ゲームに対する偏見や誤った認識は自然と消滅していくのではないかと考えています。
ゲームへの理解を推進する手段
ゲームへの理解は自然と深まっていくと述べましたが、せっかくならそのスピードが速いに越したことはありません。ではどのようにすればゲームへの理解はよりスムーズに広がっていくのでしょうか?
私は以下のようなことがポイントになっていくのではないかと思っています。
eスポーツの普及
ゲームはスポーツと通ずるところも多く、実際に日本でも様々なタイトルで大会が開かれるなど、近年その勢いは増しています。ゲームの見え方を変える大きなきっかけになりうると思います。
ゲームをプレイするメリットを伝えていく
ゲームは悪だという風潮があった時代もありますが、実はゲームをプレイすることのメリットを研究した論文は数多く知られています。たとえばアクションゲームをプレイすることで脳が活性化され、手先を器用にし、判断力や空間認知能力が向上するという統計データや、ゲームのキャラクターに感情移入し様々な物語に触れることで、感受性や想像力が向上するとした研究結果も存在します。
またお年寄りの方が簡単なゲームをすることによって、認知症などになるリスクが低減されるという可能性も指摘されているなど、実のところゲームには非常に多くのメリットが存在しているんですよね。
こうしたことをゲームをプレイされない方にも上手く伝えていくことができれば、ゲームへの印象は変わっていくのではないでしょうか。
ゲーム文化をさらに盛り上げていく
人間だれしも、大きな話題になっていることって気になってしまいますよね。口コミをきっかけに一気に社会現象となるようなケースも増えています。
要はゲームが現在以上にマジョリティになれば、それだけでゲームの捉えられ方が変わるような気がするんですよ。
ですからゲームによっていい意味での社会現象が起こるようなことがあれば、それによってゲームの立場はよりよいものになっていくと考えられます。
最後に
そんなわけで今回は以上になります。いろいろと書き連ねてきましたが、要は”どのエンターテインメントが最高”ということではなく、”どのエンターテインメントも最高”、とそう誰しもが安心して言えるようになればいいなと思っています。
だってゲームって、めちゃくちゃ楽しいし、めちゃくちゃ思い出が作れますから。
中学生の頃になると、高校生になったらゲームはやっていけないものだと思っていました。
高校生の頃になると、20歳になったらゲームはやっていけないものだと思っていました。
20歳の頃になると、30歳になったらゲームはやっていけないものだと思っていました。
でも、実際にはやっても問題にはなっていないし、今後も変わらないのでしょう。
ぼくよりも下の世代になるとさらに浸透しているでしょうし、時間が問題を解決するというのはありそうですね!
※似たような文体が続いてしつこく感じたらすみませんw