今回のコラムはちょっと小難しいお話。
心理学で知られる「アンダーマイニング効果」と呼ばれる考え方を、ゲームを題材にして紹介してみたいと思います。
(私は心理学が専門というわけではありません。大学時代に基礎教養科目として履修した講義の内容をおぼろげに思い出しつつ、またいくつかの資料を参考にしながら書いています。専門用語の用法などに誤りがある場合もありますのでご了承ください。)
自発的に行っていた行為に対して、何らかの報酬を与えてしまうことにより、もともとの動機付けが減少してしまう現象のことを、アンダーマイニング効果と言います。
例えば、自分から進んで絵を描いている子どもに対して、その絵が完成した際にお菓子を与えたとします。
するとその子どもの目的の一部が「絵を描くこと」ではなく「お菓子をもらうこと」になってしまいます。
結果として絵を描くことそのものに対するモチベーションが減少してしまい、次からは”お菓子をもらえないなら絵を描く必要がない”と考えるようになってしまうケースがあるのです。
もう一つ例を挙げてみましょう。(実際に行われた実験を若干アレンジしています。)
待合室に暇つぶし用として用意した2つのパズルを置いておいたとします。そうしてそのパズルの片方をクリアした人に賞金を払いました。
そしてこう伝えます。
「もう一つのパズルには賞金が出ません。」
すると、多くの人が1つ目のパズルは暇つぶしとして自発的に取り組んでいたにも関わらず、2つ目のパズルは「どうせ賞金もらえないならやる必要はないな」と考え、被験者の大多数が見向きもしなくなってしまいます。
自発的なモチベーションを内発的動機付け、報酬などによるモチベーションを外発的動機付けと言いますが、要は内発的動機付けに下手な形で外発的動機付けを与えてしまうと、もともとの内発的動機付けが弱まってしまう可能性がある、ということですね。
このアンダーマイニング効果ですが、私自身も経験があります。
一つはつい最近。それがまさしくブログだったりします。
もともとこのブログを立ち上げたのは「勢いがなくなってきていた家庭用ゲームを少しでも盛り上げたい!そのためにおすすめソフトや好きなシリーズを紹介したい!」という熱い思いからでした。
……なんと美しい内発的動機付けでしょう(照)。
しかしながら、ブログをはじめてすぐに思い知ります。
ブログの運営って超大変じゃん!?と。
そこで私はせっかく大変なブログ運営を続けるなら、少しだけマネタイズができないかな?と思うようになったんです。
そんな私がまず目を付けたのは「Amazonアソシエイト」。
導入しているブログ経由でAmazonを利用して買い物をしていただくと、ほんの少しだけお金が入るという仕組みです。(貼ってある商品でなくてもリンク経由ならなんでもOKですよ、ぐふふ)
そしてその後に手を出したのはグーグルアドセンス。
もっとも有名なアフィリエイトシステムで、マネタイズをしているブログで導入していないところはないといって過言はありません。
そんなこんなで厳しい審査の末、私もこのグーグルアドセンスを導入したわけですが、そうするとだんだんブログ運営の目的が「マネタイズ」にちょこっとずつ傾いてきてしまったんです。言い訳かもしれませんが、やっぱりこれは人情です……(笑)
これがまさに外発的動機付けというやつですね。
しかし私にとって一つ残念なことがありました。
それは以前記事にした通りです。
関連記事リンク:今後のブログに関するお知らせと今回の顛末
当時ショックで更新をやめようとしたのは、まさに今回のアンダーマイニング効果を証明しているような行動だったわけです。
※今は再び初心に帰って、ブログを読者の皆様に楽しんでいただくことを一番に考えています。嘘じゃないですよ、本当ですよ。
もう一つの体験談は私が中学生だった頃。
中学生といえば自由になるお金もそう多くはなく、当時の私にとってゲームソフトというのはまさに手が届かない高級品のような存在でした。
そんな中で親からこんな提案を受けるのです。
――「今度の中間テストで〇位以内をとれば、ゲームを一本買ってあげる」
それはつまり馬に人参をぶら下げるようなもの。当然ながらゲーマーにゲームソフトをぶら下げればこれはもう効果てきめんです。
まさしく私のテスト勉強の目的は「いい点を取る」ことではなく、「ゲームソフトを買ってもらう」ことになっていました。
……とまあそれがいいことかどうかはさておき、そうして買ってもらったソフトはどれも輝いて見えたことは事実。どれもしゃぶりつくすような勢いでやりこみましたし、その面白さはようやく買ってもらえたという達成感と相まって、格別に感じました。真夏の仕事終わりにビールを呷って「んめえ!!」となる感覚ですw(伝わりますかね?)
「テストでいい点を取りたい!」、「少しでも順位を上げたい!」というような向上心の高いお子さんがいる親御さんは、目に見える報酬を与えることでその向上心を削いでしまう可能性がありますので、そこは注意が必要です。
一方で私の場合はそうした向上心はもともとほとんどなかった?ので、むしろゲームに対するありがたみをより強く感じられたという点でこの作戦を実行してくれた親に感謝していますし、ゲームを出汁にテスト勉強を頑張ることもできたので、この辺りは人それぞれかなと思います。
もう少し話を掘り下げてみます。(ここからは私個人の考え方で、専門用語も私の意図を分かりやすく示すためにあえてそのニュアンスを変えている部分があります。)
形のある報酬を与えることは必ずしも悪なのか?というと、私はそうは思いません。
上に挙げた私自身の2つの例にしても、外発的動機付けが加えられたことで利益を得たことこそあれ、私が何か不利益を被ったことはないからです。それを裏付ける一つの例を考えます。
例えばある人のもともとの内発的動機付けが100だったとしましょう。
そしてそこに外発的動機付けが100足されました。そこでアンダーマイニング効果が発動し、内発的動機付けが50まで減少しました。
さてここで問題。
外発的動機付けが加えられなかった場合と加えられた場合で、どちらの方がその人のモチベーションが高いでしょうか?
これは簡単な話で、前者の場合は内発的動機付け100+外発的動機付け0なので、”モチベーション”は100となります。
一方で後者の場合は内発的動機付け50+外発的動機付け100なので、”モチベーション”は150となります。
要は内発的動機付けの減少量より外発的動機付けの増加量が多いのであれば、”モチベーション”の総量は増加することになり、動機の対象である目標を達成する可能性が高くなるのではないか、といった仮説が立てられます。
もちろん結果より過程が大事!という場合もありますし、外発的動機付けは内発的動機付けと比べてその持続性や質が低い傾向にありますので一概には言えませんが、報酬=悪では必ずしもないことは強調しておきたいと思います。
最後にゲーマーにとって報酬は何かということを考えてみます。
ゲーマーはゲームを自発的に購入してプレイします。先の例とは異なり、ゲームをクリアしても何か形のある報酬が得られるというわけではありません。
しかしながら、ゲームをクリアしたときに得られる達成感や旅の思い出、楽しさを共有する喜びは何にも代えがたいものがありますよね。まさにこれがゲーマーの得られる報酬であり、ゲームの持つ大きな魅力なのではないかと考えています。
逆にもしゲームをクリアしたら、〇〇円の賞金、なんていう仕組みが導入されてしまったら、プレイの目的が変わってしまうような気がするんですよね。
そんなわけで、ここまで長々と語ってきたことを踏まえると、ゲームをはじめとしたエンターテインメントはプレイヤー(利用者)の内発的動機付けに支えられているからこそ、純粋な楽しさを私たちに提供してくれているのではないか、と思いますね。
関連記事リンク:ゲームに必要な動機付けについて考える
注:私はeスポーツについてはまた別の話だと考えています。というのもあちらはゲーム=仕事となるので、それに対する報酬は不可欠だと思います。念のため。
心理学で知られる「アンダーマイニング効果」と呼ばれる考え方を、ゲームを題材にして紹介してみたいと思います。
(私は心理学が専門というわけではありません。大学時代に基礎教養科目として履修した講義の内容をおぼろげに思い出しつつ、またいくつかの資料を参考にしながら書いています。専門用語の用法などに誤りがある場合もありますのでご了承ください。)
アンダーマイニング効果とは?
自発的に行っていた行為に対して、何らかの報酬を与えてしまうことにより、もともとの動機付けが減少してしまう現象のことを、アンダーマイニング効果と言います。例えば、自分から進んで絵を描いている子どもに対して、その絵が完成した際にお菓子を与えたとします。
するとその子どもの目的の一部が「絵を描くこと」ではなく「お菓子をもらうこと」になってしまいます。
結果として絵を描くことそのものに対するモチベーションが減少してしまい、次からは”お菓子をもらえないなら絵を描く必要がない”と考えるようになってしまうケースがあるのです。
もう一つ例を挙げてみましょう。(実際に行われた実験を若干アレンジしています。)
待合室に暇つぶし用として用意した2つのパズルを置いておいたとします。そうしてそのパズルの片方をクリアした人に賞金を払いました。
そしてこう伝えます。
「もう一つのパズルには賞金が出ません。」
すると、多くの人が1つ目のパズルは暇つぶしとして自発的に取り組んでいたにも関わらず、2つ目のパズルは「どうせ賞金もらえないならやる必要はないな」と考え、被験者の大多数が見向きもしなくなってしまいます。
自発的なモチベーションを内発的動機付け、報酬などによるモチベーションを外発的動機付けと言いますが、要は内発的動機付けに下手な形で外発的動機付けを与えてしまうと、もともとの内発的動機付けが弱まってしまう可能性がある、ということですね。
私自身の経験談1~ブログ~
このアンダーマイニング効果ですが、私自身も経験があります。一つはつい最近。それがまさしくブログだったりします。
もともとこのブログを立ち上げたのは「勢いがなくなってきていた家庭用ゲームを少しでも盛り上げたい!そのためにおすすめソフトや好きなシリーズを紹介したい!」という熱い思いからでした。
……なんと美しい内発的動機付けでしょう(照)。
しかしながら、ブログをはじめてすぐに思い知ります。
ブログの運営って超大変じゃん!?と。
そこで私はせっかく大変なブログ運営を続けるなら、少しだけマネタイズができないかな?と思うようになったんです。
そんな私がまず目を付けたのは「Amazonアソシエイト」。
導入しているブログ経由でAmazonを利用して買い物をしていただくと、ほんの少しだけお金が入るという仕組みです。(貼ってある商品でなくてもリンク経由ならなんでもOKですよ、ぐふふ)
そしてその後に手を出したのはグーグルアドセンス。
もっとも有名なアフィリエイトシステムで、マネタイズをしているブログで導入していないところはないといって過言はありません。
そんなこんなで厳しい審査の末、私もこのグーグルアドセンスを導入したわけですが、そうするとだんだんブログ運営の目的が「マネタイズ」にちょこっとずつ傾いてきてしまったんです。言い訳かもしれませんが、やっぱりこれは人情です……(笑)
これがまさに外発的動機付けというやつですね。
しかし私にとって一つ残念なことがありました。
それは以前記事にした通りです。
関連記事リンク:今後のブログに関するお知らせと今回の顛末
当時ショックで更新をやめようとしたのは、まさに今回のアンダーマイニング効果を証明しているような行動だったわけです。
※今は再び初心に帰って、ブログを読者の皆様に楽しんでいただくことを一番に考えています。嘘じゃないですよ、本当ですよ。
私自身の体験談2~試験とゲームソフト~
もう一つの体験談は私が中学生だった頃。中学生といえば自由になるお金もそう多くはなく、当時の私にとってゲームソフトというのはまさに手が届かない高級品のような存在でした。
そんな中で親からこんな提案を受けるのです。
――「今度の中間テストで〇位以内をとれば、ゲームを一本買ってあげる」
それはつまり馬に人参をぶら下げるようなもの。当然ながらゲーマーにゲームソフトをぶら下げればこれはもう効果てきめんです。
まさしく私のテスト勉強の目的は「いい点を取る」ことではなく、「ゲームソフトを買ってもらう」ことになっていました。
……とまあそれがいいことかどうかはさておき、そうして買ってもらったソフトはどれも輝いて見えたことは事実。どれもしゃぶりつくすような勢いでやりこみましたし、その面白さはようやく買ってもらえたという達成感と相まって、格別に感じました。真夏の仕事終わりにビールを呷って「んめえ!!」となる感覚ですw(伝わりますかね?)
「テストでいい点を取りたい!」、「少しでも順位を上げたい!」というような向上心の高いお子さんがいる親御さんは、目に見える報酬を与えることでその向上心を削いでしまう可能性がありますので、そこは注意が必要です。
一方で私の場合はそうした向上心はもともとほとんどなかった?ので、むしろゲームに対するありがたみをより強く感じられたという点でこの作戦を実行してくれた親に感謝していますし、ゲームを出汁にテスト勉強を頑張ることもできたので、この辺りは人それぞれかなと思います。
内発的動機付け+外発的動機付け=”モチベーション”と考えると?
もう少し話を掘り下げてみます。(ここからは私個人の考え方で、専門用語も私の意図を分かりやすく示すためにあえてそのニュアンスを変えている部分があります。)形のある報酬を与えることは必ずしも悪なのか?というと、私はそうは思いません。
上に挙げた私自身の2つの例にしても、外発的動機付けが加えられたことで利益を得たことこそあれ、私が何か不利益を被ったことはないからです。それを裏付ける一つの例を考えます。
例えばある人のもともとの内発的動機付けが100だったとしましょう。
そしてそこに外発的動機付けが100足されました。そこでアンダーマイニング効果が発動し、内発的動機付けが50まで減少しました。
さてここで問題。
外発的動機付けが加えられなかった場合と加えられた場合で、どちらの方がその人のモチベーションが高いでしょうか?
これは簡単な話で、前者の場合は内発的動機付け100+外発的動機付け0なので、”モチベーション”は100となります。
一方で後者の場合は内発的動機付け50+外発的動機付け100なので、”モチベーション”は150となります。
要は内発的動機付けの減少量より外発的動機付けの増加量が多いのであれば、”モチベーション”の総量は増加することになり、動機の対象である目標を達成する可能性が高くなるのではないか、といった仮説が立てられます。
もちろん結果より過程が大事!という場合もありますし、外発的動機付けは内発的動機付けと比べてその持続性や質が低い傾向にありますので一概には言えませんが、報酬=悪では必ずしもないことは強調しておきたいと思います。
ゲーマーにとっての報酬
最後にゲーマーにとって報酬は何かということを考えてみます。ゲーマーはゲームを自発的に購入してプレイします。先の例とは異なり、ゲームをクリアしても何か形のある報酬が得られるというわけではありません。
しかしながら、ゲームをクリアしたときに得られる達成感や旅の思い出、楽しさを共有する喜びは何にも代えがたいものがありますよね。まさにこれがゲーマーの得られる報酬であり、ゲームの持つ大きな魅力なのではないかと考えています。
逆にもしゲームをクリアしたら、〇〇円の賞金、なんていう仕組みが導入されてしまったら、プレイの目的が変わってしまうような気がするんですよね。
そんなわけで、ここまで長々と語ってきたことを踏まえると、ゲームをはじめとしたエンターテインメントはプレイヤー(利用者)の内発的動機付けに支えられているからこそ、純粋な楽しさを私たちに提供してくれているのではないか、と思いますね。
関連記事リンク:ゲームに必要な動機付けについて考える
注:私はeスポーツについてはまた別の話だと考えています。というのもあちらはゲーム=仕事となるので、それに対する報酬は不可欠だと思います。念のため。
僕も色々思い当たることがあるので、とても府に落ちました。特にブログ関連w
ブログでマネタイズを意識しすぎると興味ないものでも色々書くことになってしまい、事務的になりますよね。
なので、最近は関心が強い物を厳選して取り扱うようになりました。
僕自身、クリエイティブも意識するところがあって、読み物として面白い記事を書きたい気持ちも強いんですよね。
それには興味があるものだけを書くのが一番と思うようになりました(あれでも書く内容を厳選しているんですw)。
今後もゲームを楽しんでいることが伝わるような記事を沢山書いていきたいです♪