今日はちょっと堅苦しいテーマの記事を書いてみます。
どんなテーマかというと、「ゲームを自分から進んでプレイしたくなるのはなぜか?」という疑問。

誤解を恐れずに言うなら、ゲームというのは「しなければならないこと」ではありません。誰かにやってくださいと頼まれているわけでもありません。(注・有野課長を除く)

しかし私も含めて多くのゲーマーは「ゲームがしたい!」と思う時が必ずあるでしょう。私なんてそれが三時間に一度は最低でもやってくるので困ったものですw

ではゲームが我々にどんな動機付けをしているのか、いくつかの側面から勝手に考察してみました。無論私個人の勝手な分析ですのでこれが正しいなどと押し付ける気はありません。ただ多少は同意していただけるところもあるのではないかと密かに思っておりますw

<動機付けその1・ゲームに用意された”ストーリー”> 

ゲームに限ったことではありませんが、エンターテインメントの骨子というのは、「誰かになりきる」ことだ、と思っています。
例えばゲームの中でもRPGだとか、小説、映画などは分かりやすく、その作品の主人公ないしは登場人物の誰かに感情移入して、いつの間にかその作品のキャラクターになったかのように役割を演じる。(正確にはその気になる。)

これがその作品に没頭するということだと思います。現実世界で他人になることは絶対に不可能なことですから、だからこそ”自分では体験できないことを、他人になりきって体験する娯楽”というものが成立するのだろうと感じるんですよね。

例えば娯楽の中でもスポーツ観戦とかはどうなんだ!と言われそうですけど、あれもやはり「その選手」、「応援しているチームの一員」になりきることで、一体感を得られるのではないでしょうか。それこそ自分でプロ選手のようにプレイしたりすることはできませんから、やはり同じことだと思います。

さて、そうして他人になりきるためには「バックボーン」が必要となるのは言うまでもありません。ただ「感情移入して」とお願いされたからと言って、電車で隣に座る見ず知らずの相手に共感したり親近感を覚えたりすることはないでしょう。(注・隣に座ったのがすごく可愛い女の子である場合を除く)

ゲームのストーリーや世界観というのは、いわばそのバックボーンを与えるものであると思います。どんな背景で主人公が冒険に出るのか。何の目的で旅をするのか。それを知ることで初めて「その冒険に自分も出たい!」と思えると思うんです。

しかしそれはRPGやノベルゲームだけでアクションではストーリーがない作品もある!と反論されそうです。確かにそれは事実なのですが、ストーリーがない作品では後述する二つ目の動機付けが関係すると考えています。
ただそれは一度棚上げして「マリオ」を例に出してみたいと思います。

はっきり言ってマリオはしっかりとしたストーリーがありません。しかし「クッパがピーチをさらい、マリオがそれを助けに行く」という設定があります。素直に言ってしまえばあれだけ簡素なストーリーならなくてもいいはずなのに、どうしてわざわざ毎作品お約束として入れるのか。

それはやはりマリオを動かす「動機付け」をしたいからではないでしょうか。シンプルにこだわる宮本さんらしい考え方がそこにはあって、「骨太のストーリーはいらない、ただ動機付けとなるだけの背景は提示しよう」ということなのだと、私は解釈しています。(注・あくまで私の分析です、違っていたらごめんなさい)

「ほう、マリオはピーチを救いたいのか。どれ、ちょっと動かしてみよう」

一方でシナリオ重視の作品というのは、「先が気になる!」という純粋な物語の推進力でプレイを促進していると思います。それは感情移入しているから先が気になるのであって、やはり大きな動機付けとなっているのでしょう。

<動機付けその2・プレイヤーの冒険心/好奇心>

もう一つはもっと直感的な動機付け。人間だれしも多少は持っているであろう、「未知への好奇心」です。

小さいころ遠足ってすごくわくわくした人もいるかと思います。(私はそうでもなかったのですが・・・w)
また旅行が大好きだ!という方もいるでしょう。

いつもは通らない道、いつもは見ない風景、いつもとは違う環境。
そういったものってどこか不安があることもありますが、それ以上に不思議なワクワク感があったりすると思います。それがここでいう未知の好奇心です。
(注・私の場合子どものころから近所の知らない場所を探すのが好きで、変な人間に思われそうですが、「自転車で迷う」のが好きだったりします(笑))

しかし毎日が忙しい現実。そんなちょくちょく遠くまで出かけたり、新しい場所を発見したりなんてことは難しいですよね。それに加えて「新しい」にも限度があります。はじめは新しく感じていてもだんだん「既視感」を覚えたり、より高度な新鮮さを求める。

その意味では娯楽で登場するファンタジーの世界というのは「想像上の世界」であるため、アイデア次第では制限なく新しさを押し出すことができます。

例えば魔法を前面に打ち出したハリーポッターシリーズ。これが世界中で大ヒットした一因は、あの「魔法使いたちによる、マグル(普通の人)と完全に切り離された新しい世界」に旅立てるから、ではないかと考えています。

現実とかけ離れていて、それでいて説得力を持った世界観。だからこそそこに好奇心が芽生え、その世界に行ってみたいと思うんですね。
USJのハリーポッターエリアがいまだ根強い人気を誇るのも、そんな冒険心がくすぐられるからだと思います。

ゲームにおいてもそれは同じ。

例えば西部劇の世界ですとか、中世の戦乱の世界、近未来のSFの世界、江戸時代の日本。
様々な特徴的な世界観は現実では再現できませんが、ゲームならそれが可能です。

世界観だけではありません。

現代をテーマにした作品だとしても、その作品でのキャラクター、キャラクター間の設定は明らかに現実とは異なるでしょう。
FPSの要領で銃撃戦を繰り広げることや、剣でスライムをぶった切ること。バナナで車を回転させたり甲羅で車を一回転させること。ヒロインが全員主人公を想っていること。広大な野原を宝箱を探して駆け回ること。
そうした全てがいい意味で現実的ではありません。

仮想の世界で現実とは全く異なる冒険に出る。それは有体に言えば現実逃避というやつかも分かりませんが、常に同じ目線でいるよりもいろいろな体験をした方が楽しいと思うんです。よく言われるオープンワールドの密度の濃さなんかもこの項目を満たすために必要な条件なのだと思います。

<動機付け3・ゲームの腕前>

現実世界ってどんなこともランキングが支配していると思います。
例えば学校なら試験の順位って誰もが気にしますし、オリンピックもメダルを争ってランキングを競います。
営業成績ランキングみたいなものがある会社もあるでしょう。

もちろんいい順位が取れればうれしいですし、他人に自慢したくなります。
そしてそれはゲームでも同じ。

繰り返し練習してタイムアタックのベストスコアに挑戦したり、通信プレイで勝利を狙ったり。または自分が以前より上達していると実感するだけでも楽しいですよね。
これも立派な動機付けになっていると思います。

ちなみに広義ではRPGでのレベル上げもこの3つ目の動機付けに関わっていると思います。
何といっても自らの分身が強くなっていくのを実感する作業にほかなりませんからね。

近年スマートフォンの基本無料型ゲームがブームになったのはここに秘密が隠されていると思います。上達・育成の手間や時間などをお金で代用できるようにしたことで、3つ目の動機付けの目的はそのままに、手段を大幅に簡略化して提供する仕組みが受けたのでしょう。

しかし私はこんな記事を書いていることからもお分かりの通り、ゲームは動機付けを丁寧に深くやってほしいと考えていますので、ちょっと悲しく思っているのですが・・・。

<総括>

さてここまでつらつらと私の持論を書き連ねてきました。
何がいいたいかよく分からない記事に感じられるかもしれませんが、「私がゲームを好きな理由」と置き換えられるかもしれません。

ゲームのエッセンスというのは今挙げたようなことの中に隠されていると思います。
ですからこれらをおろそかにすることなく、より感情移入できる意欲作が家庭用ゲームとしてこれからもたくさん発売されることを祈っています。



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