家庭用ゲーム機は世代を追うごとに飛躍的な進化を遂げてきました。
その進化の在り方は会社やハードによって様々ではありますが、今回の記事ではゲーム(やゲーム機)が一体どこまで進化を続けていくのかということを考えてみたいと思います。

近年はハード間で”見た目の差”を出しづらくなってきた

まず最初に言及しておきたいのが、近年は以前に比べて各ハードでマシンパワーによる表現の差を出しづらくなってきたということ。

もちろん今でもハードごとに性能の差はありますが、どのハードも一定レベルのグラフィック表現ができるようになってきたために、”圧倒的な差”というのはつきづらくなってきています。

これはもちろんグラフィックだけの話ではなく、例えば”音質”や”操作性”などもそう。
様々な側面において、各ゲーム機がひとつの完成形を迎え、新たな進化を見出しづらくなっているということが言えるのではないでしょうか。

ゲームソフトにも同じことが言える

ゲーム機の性能が向上したことで、ゲームの表現の幅も飛躍的に向上しました。

現実との境界線が曖昧になりそうな”フォトリアル”なゲームが増えましたし、挙動や物理法則に至るまで現実世界を再現することもできるようになりました。

またアニメ調のゲームにしても映像をぬるぬると動かせるようになっていますし、性能による制限はかなり少なくなってきていると言えます。

もちろん予算的な問題やコンセプトの違いなど作品ごとに抱える事情はそれぞれですが、シリーズものにしても”見た目”だけで差をつけるのはかなり難しくなってきている現状があると考えています。

ゲーム機、ゲームソフト、いずれも大きく進化してきたからこそ、逆に(従来の形での)進化の余地が小さくなってきてしまった、ということですね。これは言うなれば”進化の飽和”という表現がぴったりくるのではないでしょうか。

ゲーム機はこれ以上進化できないか?

では本題に移りますが、ゲーム機はこれ以上の進化が見込めないのでしょうか?

ここまでの書き方だと、ゲーム機の目に見える進化は難しくなっているという結論になりそうですが、私の考えはそうではありません。

「ゲーム機の進化は次のステップへ」

何かの標語みたいですが、私はゲーム機の進化がちょうど分水嶺へと差し掛かっているのだと感じています。

どういうことかといえば、「従来の形での進化」は一度落ち着き、「新たな形での進化」の模索が進んでいるのではないかということです。

具体的な例として挙げられるのが”PSVR”です。
VR(バーチャルリアリティー)によってゲームの可能性は文字通り”一つ次元が上がる”ような期待があります。

自分がゲーム内の世界に入り込んでしまったかのような臨場感や没入感。それはそのハードならではの付加価値をもたらしています。

もう一つは”Nintendo Switch”です。
こちらは着脱可能なコントローラーと持ち運べる本体設計によって、場所や時間を選ばずにゲームが楽
しめる”プレイスタイルの多様性”を生み出しました。

据え置き機でありながら手軽で便利、快適にゲームが楽しめる。これもまたこれまでとは違う新たな進化の方向性だと言えるでしょう。

こうして各ハードが従来とは別のベクトルに舵を切ったことで、進化の余地は再び大きく広がったと考えられます。

実際、VRについて言えば、これはまだ研究途上の技術ということもあり、ソフト単位でのクオリティには大きな差異があります。
加えて「触感」や「匂い」、「味覚」をVRに付加するような進化もあり得ると思います。

Switchについて言えば、携帯性のさらなる向上やまったく新しい第4のプレイスタイルの発明、HD振動機能の追求など、こちらも様々な進化の可能性がありますよね。

ゲーム機にはまだ見ぬ無限の可能性がある!

こうして考えてみると、ゲーム機の「進化の飽和」はあくまで従来の形での進化が飽和してきているというだけであって、それは今後のゲーム機に大きな進化が見込めないということではないことが分かります。

今回挙げた以外にも、例えば「AR(拡張現実)」や「AI(人工知能)」といった昨今話題になっている技術がゲーム機に新たな変革をもたらすかもしれません。

独創的なアイディアが尽きない限り、ゲーム機の進化には無限の可能性があるのだと思います。

【PS4】ASTRO BOT:RESCUE MISSION (VR専用)
ソニー・インタラクティブエンタテインメント
2018-10-04







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